1959年9月26日、県内に甚大な被害をもたらした伊勢湾台風は、四日市市でも尊い命や人々の生活を奪っていった。北部の富田、富洲原地区を中心に、死者115人、家屋の全半壊合わせ3695戸、床上浸水1万5125戸、床下浸水3064戸という未曾有の被害となった。
 

「ものすごい風の音は忘れない。生きた心地はしなかった」。楠町南五味塚の神谷任男さん(74)は当時15歳、楠中学校の3年生だった。土曜で授業は午前のみ、「昼からは台風がひどくなる」と聞き、水が流れ込んできた場合に備え、家のはりに布団をかけるなどしていた。

 午後6時ごろから風雨が強くなり、震えながら家の中で過ごした。窓ガラスは割れ、屋根のトタンははがれた。「とにかくすごい音。その感覚は忘れられない」。凄まじい音により一層の恐怖を感じた。

 風が弱まったと感じた時、家に水が流れ込んできた。一気に水位が上がり、15分から20分ほどで床上まで浸水し、畳も浮いてしまった。隣に住んでいた親戚から「避難しよう」と声を掛けられ、高台へ避難しようと家を出て、近所の家へ逃げ込んだ。電柱が倒れ、辺りは真っ暗。「生きた心地がしなかった」。

 一夜明け、服はずぶ濡れになり、避難した家で服を借りて自宅へ。目に入ったのは、屋根を飛ばされ、浮いた畳によって倒れたたんすなど、無残な光景だった。布団は袋に入れてはりにぶら下げていたため無事だった。片付けをし、寝る際は支給されたむしろに布団を敷いた。「屋根が飛ばされていたので、天井には空が広がっていました」。翌日は台風一過の晴れ模様だった。

 自治会の副会長を務めた時には防災規定を作るなど、日頃から防災への備えに熱心で、現在は楠地区社会福祉協議会の会長を務める。「今はテレビやインターネットなどでさまざまな情報が得られるが、当時はラジオ以外に情報の入手手段がなかった。台風が来ると分かれば備えをしっかりしなければ」と心掛けている。

 資料などによると、当時の楠町では浸水や家屋の倒壊や数人の負傷者はあったが、死者、行方不明者はいなかったとされる。海岸付近の住民約90人には早い段階で退去の指示が出され、午後4時までには高齢者や子どもら2400人ほどが避難所へ移動していたという。