戦争の記憶、平和への思い② 四日市空襲「恐怖の一夜、今も」

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 戦後75年となる今年、戦争体験を2人の方に聞いた。新型コロナの影響で、ウイルスへの警戒が強まる中、社会の変化は著しい。しかし、どのような状況であっても平和への思いは揺らいではいけない、悲惨な歴史を知らない世代が多くなった社会の中で、体験を聞き、今一度考える機会としたい。

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 約800人が犠牲になった1945年6月18日未明の「四日市空襲」から75年が経過した。現在のJR四日市駅近くに家族7人で暮らしていた当時13歳の田中弘子さん(88)(鈴鹿市在住)は、家族とはぐれ一人になり、不安と恐怖の中で過ごした一夜のことを今も覚えている。【四日市空襲の体験を語る田中さん=鈴鹿市で】

 いつもと違う戦闘機の音や周囲の状況から危険を察知した田中さんは、布団を頭からかぶり、姉とともに三滝川を目指して駆け出した。逃げまどう大勢の人たちについて走るうち、一緒にいたはずの姉の姿が見えなくなり、火が布団に燃え移っていたことにも気づかないほど夢中で逃げた。

 川岸に着くと、すぐそばに焼夷弾が落ちてきた。その衝撃でバランスを崩し、体が地面に打ち付けられ、「もう死ぬんだ」と感じた。ほどなく生きていることに気づいたが、焼夷弾が落ちた側の腕に強いしびれを感じた。田中さんの数メートル先にいた男性は焼夷弾の直撃を受け、息絶えたという。

 川岸で眠れぬ一夜を明かし、今度は家族が無事だったのか心配になった。「父は地区の避難誘導役だったので、逃げ遅れたのではと思っていた」。その父が田中さんを探し回り、見つけてくれた。「父の姿を見た時は、とてもうれしかった。家族全員無事で、本当に運が良かった」と振り返った。

YOUよっかいち8月8日付186号2面から