第1回 四日市の始まり

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 その昔、四日市は海でした。「沖の島」の地名はその名残りと言えます。陸ができ人々が集まると、その場の様子や自然環境により色々な地名が付けられました。四日市は、「四日の市場」の意味で、定期市が開かれていたことに由来します。室町時代の資料に「四日市庭浦(ばうら)(四ケ市場浦)」との記載があり、廻船や漁船の集まる港町としてこの頃から市が開かれていたと考えられます。四のつく日になった理由は分かりませんが、紙や布、焼き物や曲げ物など遠方から売りに来る人も多く、人が集まりやすいよう日を決めたのだと思われます。四の付く日は月に3回あり、十日に一度開かれる市を三斎市(さんさいいち)と言います。市場の需要が高まると五日に一度開かれる六斎市(四と九の日)に変わり、人々が定住する場へと発展していきます。四日市の町が発展した背景には港と道(東海道から高速道路)が大きな役割を果たしているのです。

写真:市内で最も古い三滝川慈善橋市場の様子

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