三重県四日市市の鵜の森公園で6月18日、四日市空襲犠牲者慰霊献花式が行われた。世界の戦火は絶えることなく、きょうも爆撃などのニュースであふれているが、参列者はあらためて平和への願いを込めて献花をした。戦後80年となり、当時を知る人も少なくなってきているなか、昨年まで毎年参列していた女性の死去が参列者に紹介される一幕もあった。
公園内にある四日市空襲殉難碑は1980年に建立された。その年から追悼式が行われ、1996年からは献花式として続いている。森智広市長、村山繁生市議会議長や、三重県原爆被災者の会(三友会)四日市支部長坂牧幸子さん、市内中部ブロックの自治会関係者、フロンティア四日市(四日市老人クラブ連合会)の関係者ら約30人が碑の前に参列、黙とうを捧げた。
森市長は式辞で、「四日市市が人口30万人の産業都市になった繁栄が、戦禍で心ならずも命を落とした尊い犠牲の上に築かれていることを忘れず、戦争の惨禍を繰り返さないために、戦争の歴史を次の世代に継承する責任と使命があり、平和の尊さを語り伝えていく使命を果たしてまいります」などと、平和への決意と追悼の意を述べた。

式辞のあと、出席者が順に献花をした。毎年のようにこの献花に参列し、亡くなった同級生ら友人をしのび、近況を報告していたという竹野れいさんが、今年2月に93歳で亡くなり、遺族から、「参列の皆様によろしくお伝えください」とのメッセージがあったことがアナウンスされた。

市の資料によると、四日市空襲は1945(昭和20)年6月18日から計9回にわたって、焼夷弾約3万個以上が投下されるなどし、全市の35%にあたる約3.18平方メートルの市街地が焼失したとされる。死者は800余人。重軽傷者1733人、被災人口49198人、被災戸数10478戸など、資料によって様々な数字が残っているという。
なお、8月31日まで、市立博物館3階で、学習支援展示「四日市空襲と戦時下のくらし~銃後を支えた女性たち~」が開かれている。