焼夷弾の炎に包まれ、失われた命 四日市空襲の記憶を朗読で伝える

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四日市空襲の体験談をメモを手に朗読する出口さん
【四日市空襲の体験談を朗読する出口さん】

 柱の下敷きになった母を残し、逃げざるを得なかった家族。背中が焼けただれ、剥がれた皮膚をぶら下げて歩く人――。そんな四日市空襲の悲惨な体験談を朗読する講演会が12月14日、三重県四日市市の常磐地区市民センターで開かれた。元教員の故・岡野繁松さん(享年90)が25年間にわたり編纂した冊子「旧四日市を語る」に収められた記録を、市内在住の出口敦子さん(63)が感情を込めて読み上げた。

四日市にも空襲があった

 四日市空襲は、第二次世界大戦末期の1945年6月18日未明、四日市市を米軍B29爆撃機が襲った大規模空襲。約1万1千発の焼夷弾が投下され、市街地の35%が焼失、736人が死亡、1500人が負傷した。その後も8月まで計9回の空襲を受けた。出口さんによると、今では40代や50代の人でも四日市で空襲があったことを知らない人がいるという。

出口さんの語りに耳を傾ける参加者たち

 朗読では、産後まもなく空襲を受け、生まれたばかりの我が子を抱いて、寝間着を血まみれにして逃げた母の手記や、友人が焼夷弾の被害に遭い、「べろを出して死んでた」と話す少年の話などが語られた。参加者は、真剣な面持ちで出口さんの話に耳を傾けていた。

旧四日市を語るの冊子を手に語る出口さんとその話を聞く参加者。出口さんの話を聞く竹内さんが後にいる
「旧四日市を語る」を手に話す出口さんと、話を聞く参加者


遺志を継ぎ、活動は海を越えた

 出口さんは、岡野さんの遺志を受け継いで戦争体験に焦点を当てた動画を制作し、YouTubeで公開。地元の中学生や、台湾の研究者との交流にもつなげてきた。今年4月には台湾の大学教授が来日し、出口さんの語りを直接聞いた。

台湾の研究者が椅子に座り正座で話を聞く出口さんと通訳の女性
出口さんに質問する台湾の大学教授

ギターの音色が添える柔らかな空気

 今回の講演会は、常磐地区社会福祉協議会の依頼で実現。ギタリストの竹内いちろさんがアコースティックギターで即興のメロディを添え、重い体験談にも柔らかな空気が広がった。

ギターを膝に乗せ手で顔を触れて話す竹内さん
ギター演奏の前に思いを語る竹内さん

子どもの心に届いた声

 会場で朗読を聞いた常磐西小学校5年生の戸谷和花さんは「怖かったけれど、戦争はしてはいけないと思った」と話した。父の文彦さんも、戦時中に病院代わりに使われた祖母宅の解体時、血の付いたガーゼを見つけて戦争の痕跡を目にした経験があり、「解像度のある語りだった」と振り返った。

朗読を聞いて感想を語った父と子が2人並んでいる
朗読の感想を語った戸谷さんと和花さん


戦争の声を次世代へ

 会場には、和花さん以外に子どもの姿はなかった。文彦さんは「戦争の生々しい話を聞く機会は、今の子どもたちにはほとんどない。もっとたくさんの子どもたちに聞いてもらいたい」と語った。

立って朗読をする出口さんとその後ろでギターを弾く竹内さん
出口さんの朗読に合わせてギター演奏をする竹内さん

平和への思い共有したい

 出口さんは「動画は一方通行だが、対面で話すことで表情や息遣いを感じられた。知識や情報だけでなく、心の揺らぎも共有できたと思う。これからもこうした平和への思いを共有する機会を持っていきたい」と話した。朗読会の依頼は出口さん(090・3587・4198)まで。

 講演会で披露された朗読は、出口さんが制作した動画、新・「四日市空襲を語り継ぐ」第一弾に収録されており、YouTubeで公開でされている。https://www.bing.com/videos/riverview/relatedvideo?q=%e5%9b%9b%e6%97%a5%e5%b8%82%e7%a9%ba%e8%a5%b2%e3%82%92%e8%aa%9e%e3%82%8a%e7%b6%99%e3%81%90&mid=D22AA8ACA022296E1B54D22AA8ACA022296E1B54&mcid=C3F04B3BFA474DC1A3A05A498FD206B1&FORM=VIRE


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