四日市空襲の記憶を伝える女性、台湾へ 研究チームに招かれ戦争遺構を視察

台湾の旧海軍燃料廠の跡地に立つ日本人の台湾人スタッフ
【第6海軍燃料廠の跡地に立つ日本人の視察団と台湾の研究チーム】

 四日市空襲の記憶を伝える動画を制作した出口敦子さん(63)が、台湾の研究チームの招待を受け、1月20日から台湾を訪れた。戦時中、四日市と台湾にそれぞれ旧日本海軍の燃料生産施設「海軍燃料廠」が置かれていた縁から研究者との交流が深まり、今回の現地視察が実現した。YOU記者も招待を受け同行し、台湾側の丁寧な案内と温かいもてなしを取材した。

第6海軍燃料廠の跡地
四日市コンビナートによく似た第6海軍燃料廠の跡地

賴教授の調査から始まった三重県と台湾の新たなつながり

 台湾の国立陽明交通大学の応用芸術研究所の賴雯淑(ライ・ウェンシュウ)教授は海軍燃料廠の研究をしており、日本での調査を企画した。調査の際に出口さん宅を訪れ、動画制作の経緯を聞き、四日市コンビナートや県内の戦争遺跡を視察した。その縁で、出口さんや三重県歴史教育者協議会の会員ら5人が台湾に招かれた。

海軍燃料廠の跡地にそびえ立つ煙突と日本人参加者と台湾のスタッフ
煙突のある海軍燃料廠跡地での記念写真

第6海軍燃料廠跡地と“歴史建築”としての保存

 一行は桃園空港で研究チームのメンバーと日本人留学生の通訳に迎えられ、宿泊先のホテルで歓迎の夕食会が開かれた。翌日は台湾北部・新竹市にある第6海軍燃料廠跡を視察。市の文化局長や市議会議員、建築士らも同行した。

 戦後に負傷兵の療養施設や軍人家族の住宅として使われてきた経緯や、戦時中の軍需工場の象徴として残る高さ60メートルの大煙突が、2010年に歴史建築として登録されていることなどの説明を受けた。

 現在は、2027年ごろの完成を目指して文化施設として大規模改修が進められている。修復後は、工場の動力システム展示や、軍人家族住宅の生活展示が行われる。一行は「完成したらまた来たい」と、期待を寄せている。

洞窟内の様子を説明する台湾の案内人とそれを聞く人
洞窟内の様子


 翌日は台湾南部・高雄の燃料廠跡地を訪れ、高雄市旧城文化協会の担当者の案内で洞窟型地下工場を見学し、現在は国営企業「台湾中油公司」の施設となっている場所を見学した。昼食会では台湾中油公司の精製事業部の季 存厚(キ・ソンコウ)執行長から歓迎を受けた。宿泊費や食事代、台湾国内の交通費などはすべて研究チームが負担した。日本人通訳と台湾人通訳も同行し、日本人が困らないよう細やかな配慮が続いた。

通訳の言葉ににじむ歴史への思いと和解

ヘルメットをかぶった出口さんと台湾人通訳の女性が工場跡地にYOUよっかいちの記事を手に立っている
燃料廠跡に立つ出口さん(左)と台湾人通訳。通訳はYOUよっかいちの出口さんの記事のコピーを持っていた

 台湾は日本統治下でインフラ整備が進んだ歴史がある一方、植民地支配の記憶も残る。そんな中で、台湾人通訳は出口さんに「動画を見て、日本人も戦争で苦しんだことが分かり、わだかまりが消えた」と語った。出口さんは「温かいもてなしに心を打たれた。台湾の人と心が通い合えたことが本当にうれしい」と話した。

大勢の人が小籠包の店で笑顔で記念写真を撮る様子
見学後の懇親会で親睦を深める日本人の一行と台湾の研究チーム


 YOU記者も、慣れない海外取材に戸惑いながらも、食事の好みやアレルギーへの配慮、延泊先のホテルのチェックインまで寄り添う研究チームのメンバーに支えられた。その一つひとつが、形だけではない“心のこもったもてなし”として胸に残った。一行は、今回の国境を越えた交流が今後も続くことを願いながら帰国した。

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