文学の視点で四日市公害考える、文学者作詞の校歌も改編、三重大の和田崇さんが講演

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 「四日市公害を忘れないために 市民のつどい2023」が7月30日、三重県四日市市の「そらんぼ四日市」1階講座室で開かれた。三重大学准教授(国語教育担当)の和田崇さんが「四日市公害と文学~原爆文学を補助線にして」のテーマで講演した。これまで、経済、法律、科学などの視点から語られてきた四日市公害を、新しい角度から光を当てた試みで、約50 人が参加した。【文学から四日市公害に光を当てた講演会=四日市市安島1丁目】

 四日市公害裁判で原告が勝った1972年7月24日から51年になり、四日市公害の記録と継承を続ける市民団体、四日市再生「公害市民塾」が市のエコパートナー事業として企画した。和田さんはプロレタリア文学が専門で、2015年に三重大に赴任。四日市公害を記録した先駆者、故澤井余志郎さんがプロレタリア文学に関心があったことを知り、市民運動と文学の結びつきに関心を持ったという。

 和田さんは、科学と自然と人間をめぐる原爆と公害の連続性について紹介した。石垣りん「あやまち—1970夏四日市」での詩の一部「安らかに眠って下さい/過ちは繰り返しませぬから/あれは広島、原爆慰霊碑のことば/あやまちについて/私たちはいつも感違いする/同じあやまちに神経質になる/そしていつも/新しいあやまちをおかす/四日市では/もうずいぶん前から何かがはじまっている/あやまちでなければいい」(一部略)を挙げ、原爆と四日市公害が同じ構図をもつことを指摘した。(講演する和田崇さん)

 次に、和田さんは社会状況や作者の意識の変化による文学作品の改編(書き直し)について紹介。その中で、四日市市の学校では石油コンビナートを科学の象徴として表現していた詩の一部が、言い直されたことを紹介した。

 1970年代、旧塩浜小学校では伊藤信一作詞の「港のほとりならびたつ/科学の誇る工場は」が「南の国から北の国/港出てゆくあの船は」、四日市南高校では谷川俊太郎作詞の「炎をあげるスタッグが/限りない未来を照らす」が「心にひめた問いかけは/限りない未来を目指す」へと変わった。当時の新聞はこれらを前向きにとらえて報道した。

 講演後の質疑で、当時、四日市南高校の生徒だったという男性が発言を求め、「当時、歌詞が変わることについて、私たち生徒は一度も意見を聞いてもらえなかった。改編前と改編後の歌詞を並べて残す手もあった。今でも忸怩たる思いがある」などと話す場面もあった。

 講演のまとめで、和田さんは、工場夜景は自身も大好きで、「美しい」と思うとしたうえで、「美しいもの」だけを見て「見えないもの」は見ようとしないのではなく、「美しいもの」の裏側にある「見えないもの」を見ようとする姿勢が大切だと語りかけた。