三重県四日市市在住の洲上雅子さん(66)は、19歳で看護学生だった頃に目にした光景を、今も忘れられずにいる。死産した赤ちゃんの遺体が医療用のトレーに置かれ、冷蔵庫で保管されていた。退院の際、その遺体は段ボールにガーゼを敷いた簡素な形で母親に手渡されていた。「なんでこんなんなんだろう」――。そのとき抱いた疑問は、今も洲上さんの心に深く突き刺さっている。
死産とその後の手続き
法律上、妊娠12週以降に胎児が亡くなった場合は死産とされ、「死産届」の提出が必要となる。戸籍には記載されないものの、火葬や埋葬のための手続きは行わなければならない。
みたき総合病院の鈴木悟小児科部長によると、同院では死産の赤ちゃんをおくるみに包み、母親が抱いて退院するケースが多いという。一方、胎内で亡くなってから時間が経っている場合、皮膚がもろくなって剥がれてしまうこともある。その際は、段ボールに白い布などを敷き、その中に赤ちゃんを寝かせて渡すこともあるという。
「この現状を変えたい」――。そんな思いから、洲上さんは死産を経験したお母さんに、心を込めた棺や布団、洋服を届ける活動を続けている。
今も変わらぬ状況への疑問
洲上さんは看護師として、高齢者看護や訪問看護、緩和ケアに携わってきた。命と向き合う現場で、死別による深い悲しみを抱える人々の心に寄り添うケアにも関心を持ち、グリーフケアの講演会では講師としても活動している。
看護学生時代の体験から30年以上が経った頃、医療が進歩した現在でも、死産した赤ちゃんの扱いが大きく変わっていないと聞いた。その事実が、再び洲上さんの胸を突いた。

「何とかしたい」と決意した洲上さんは、県内の木工業者に依頼して赤ちゃん用の棺を作ってもらい、友人にはボランティアで布団や洋服作りを頼んだ。病院にストックを置いてもらえるよう働きかけ、現在では段ボール製の棺と、洲上さんが用意した棺のどちらかを選べる病院もあるという。
高校生の協力で広がる活動の輪
今年に入り、知人を通じて県立四日市中央工業高校(四日市市菅原町)木工部顧問の伊藤了教諭とつながり、生徒たちが赤ちゃんの棺を制作することになった。また、グリーフケア講演会のシンポジウムで活動を紹介した際には、県立四日市農芸高校(四日市市河原田町)の中村通子教諭から「赤ちゃんの布団作りを手伝いたい」と申し出があった。12月には棺と布団が完成し、洲上さんは両校を訪れて受け取った。

死産の原因は、母体や胎児、胎盤の問題などさまざまで、原因が特定できないことも少なくない。医師の多くは「母親のせいではない」と説明するが、それでも自分を責めてしまうお母さんは多い。
洲上さんは、胎内記憶について学んだ経験もある。科学的に証明されたものではないが、「赤ちゃんはお母さんを選んで生まれてくる。たとえ命が短くても、その存在には意味がある」と考えるようになった。
赤ちゃんのメッセージに気づくために――洲上さんの願い

洲上さん自身は死産を経験しておらず、「子どもを亡くしたお母さんの気持ちを、完全に理解できているとは思っていない」「明確な答えを示すこともできない」という。それでも活動を通して伝えたいのは、「赤ちゃんはお母さんを悲しませるために生まれてきたわけではない」という思いだ。
「お母さんと一緒に、赤ちゃんからのメッセージに気づいていきたい」。高校生の協力を得て、洲上さんの活動は新たな広がりを見せている。
問い合わせは、グリーフケアミモザ(洲上さん)の公式LINEhttps://line.me/ti/p/@772xynmzまで。
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