三重県菰野町で昨年11月に開かれた「菰山展」。4つの会場で絵画や陶芸など多様な作品が並ぶ中、古民家・旧重盛邸「おやまの家」(菰野町吉澤)では、黄みを帯びた柔らかな色の写真の展示があった。額の中に整えられた作品だけでなく、土間の上に直接置かれた写真も。一見、「これは『作品』なのか?」と狐につままれたような気持ちになるが、じっと目を凝らすと、端がくるんと反った印画紙に地元の風景がじわりとにじみ出ていた。
菰野(風景×素材)で写真を染める
作者は津市美里町を拠点に、大判カメラでモノクロ作品を制作している写真家・松原豊さん(58)。「自然素材」をテーマとした菰山展の出展を引き受けたあと、ふと「写真って、工業製品だし化学じゃん」と我に返ったという。「どうやって自然と結びつけよう」。悩んだ末に浮かんだのが、「お茶で染める」という発想だった。
ロケハンで展示会場を巡ったとき、「おやまの家」に心が動いた。敷地脇には水路が流れ、タワシがぽつりと置かれた様子が目に入り「これだ」とひらめいた。「生活の気配、現役感に惹かれた」と松原さん。自身の代表作で平成時代の三重の村の姿を記録した「村の記憶」にも通じる視線だ。

「写真にお茶?」
「おやまの家」周辺で撮影したありふれた風景を、土地の素材で染める。使ったのは、菰野町の農家・松本一夫さん(51)の緑茶とほうじ茶。松本さんは茶葉提供の依頼を受けた当初、「写真に使う?お茶は飲むものやのに、どうするんやろな?」と首をかしげたという。

暗室に漂うお茶の香り
5リットルのやかんでお茶を煮出し、冷ましてから印画紙を浸す。期間は5日から1週間。2〜3時間ごとにかき混ぜた。「ムラ防止のためだけど、ムラがあった方が面白かったかもしれない」と笑う松原さん。想定以上にきれいに染まってしまい、少し悔しそうですらある。
暗室には、ほのかなお茶の香りが立ちのぼる。工業的で化学的なメディアとして扱ってきた銀塩写真が、茶葉の成分を吸いこみ、ゆっくりと色を変えていく。「写真が土地と結びつく時間だった」。
紙切れ感が気持ちいい
初日は額装した作品のみを展示。しかし松原さんは、2日目には思いつきで試作プリント約20枚を土間に直接並べてみた。フラットニングされていないため、紙は「天然パーマ」のように反っている。
「まさか写真を土の上に置くことになるとは。でも、この作品にはしっくりきた。正しいとか正しくないじゃなく、もうこの紙切れ感が気持ちよかった」。
写真が土地と触れることで、環境に溶け込んだかのような錯覚。風景と作品の境界が曖昧になり、淡くなる。染みた色も、紙の反りも、偶然の産物だ。「自然がテーマだからと、安易に写真を水に浸けたりして『自然との融合』とか、やらんでよかった」。撮影だけでなく制作のプロセスそのものを土地と結びつけることができたという。

展示会後の初対面
菰山展が終わってからしばらく後、松原さんは作品を手に、農家の松本さんを訪ねた。お茶の提供は同展実行委員会の佐野洋平さんを介してのことだったため、2人が顔を合わせるのはこの日が初めてだった。
「芸術家の人って、もっと気難しい人を想像してました。どんな人が来るんやろって。そしたら、柔らかい雰囲気の普通のおじさんでほっとしました」。松本さんの松原さんへの第一印象だ。
松原さんが写真を広げて制作過程を説明し、松本さんは1枚1枚を手に取り、見つめた。「なんか、かわいらしい」。展示のメインになった水路にぽつんと置かれた生活感あふれるタワシの写真だ。「写真作品って、もっときれいな景色が写っとるもんやと思ってましたが、イメージと違って面白い」。
松本さんは、道路脇のガードレールからはみ出すように伸びた雑草が写っている作品にもじっと目を凝らしてつぶやいた。「農家からしたら、天敵の草やなあ」。松原さんはその言葉に相好を崩し、「自分にとってはただの雑草でしかなかったものを、別の視点で見てもらえるのは新鮮でうれしいですね」。
話題は、液体の酸性度やアルカリ度を示すpH値を測定する「pH計」に。松原さんは、普段の暗室作業ではpH計を用いることもある。薬品の効力を確認したりするからだという。それを聞いた松本さんが、身を乗り出す。「僕は土のpHめっちゃ気になります」。畑の状態を知るため、日常的に土壌のpHを測っているという。話は思いのほか弾んだ。

茶畑を続ける理由
松本さんは、もともとサラリーマンだった。父の他界をきっかけに、米作りとお茶の農家を継いだが、米と違って、お茶には農業機械の操作を動画で学べる教材が少なく、手探りの連続だったという。やめたいと思ったこともある。
それでも続けてこられたのは、茶畑を散策する人の「この風景が好きで、見に来てます」という言葉だった。「景観を守るという意味でも続けていく意義があると思った」。
お茶を育てることも、フィルムで写真を制作することも、時間と手間がかかる。そう投げかけてみたが、2人とも、その手間を手間とは捉えていないようだった。松本さんは、「洗濯機を回すのと一緒」と言って笑う。「好きでやってるという感覚で、続けていきたいです」。

「1枚、撮らせてください」
帰り間際、松原さんが提案した。「よかったら、1枚、撮らせてもらえませんか」。松本さんは少し驚いた表情を見せつつ、うなずいた。
松原さんは車に戻り、愛用の8×10インチの大判カメラを取り出した。三脚を据えてカメラを載せ、蛇腹を伸ばす。黒い暗幕を頭から被って外光を遮り、逆さに映る像を見つめながら、ピントと構図をゆっくりと追い込んでいく。最後にシャッターを閉じ、フィルムホルダーを差し込み、遮光板を抜く。
「動かないでくださいね」。
松本さんは、少し緊張した面持ちで、被写体となった。

写真はどこまで土地と結びつくか
松原さんは、「写真と土地の素材が結びついたことで感じた手応えを、今後の制作に生かしていきたい」と話す。
写真が風景を写すのみならず、吸い込むように土地のほのかな香りと時間を宿す。そんな可能性が菰野の茶畑から生まれた。









