第3回 富田

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 鎌倉時代の古文書に「富田の御厨(みくりや)」の記載があり、これが富田の起源です。名前の由来は2つの説があります。一つは、米が多く収穫される美しい田んぼの意味。もう一つは、地域の総氏神、鳥出神社の「ヤマトタケル伝説」にちなんだものです。ヤマトタケルは没後、白鳥(しらとり)となって熱田へ向かう際、鳥出神社で休憩してから飛び立ったとされ、白鳥が「とんだ・飛田」が「とみだ・富田」に変わったと言われています。
 江戸時代は桑名藩領で、東海道五十三次の桑名宿と四日市宿の間(あい)の宿として繁昌しました。名物「富田の焼きはまぐり」は、旅人にとって最高の楽しみだったそうです。明治22年に富田村と茂福村が合併して朝明郡富田村に、その後、三重郡富田村、三重郡富田町へと変更を経て昭和16年に四日市市に編入、現在に至ります。
 富田地区内「茂福」の地名は平惟茂の子孫貞冬が、惟茂の「茂」と縁起の良い「福」の字をつなげて茂福氏を名乗ったと、江戸時代の地誌「勢陽五鈴遺響(せいようごれいいきょう)」に書かれています。

写真:白鳥が飛び立つ様子を描いた鳥出神社の絵馬