第4回 大矢知

226

 大矢知地区は古代朝明郡の役所の跡、久留倍官衙遺跡があることで知られています。壬申の乱の際、大海人皇子が戦勝祈願をしたり、聖武天皇が東国行幸の際に立ち寄ったとされる歴史深い場所です。今の大矢知興譲小学校の所には江戸時代に忍藩の代官所がありました。明治22年に大矢知村・川北村・松寺村・蒔田村・西富田村・下之宮村・垂坂村の7村が合併したもので、昭和29年に四日市市に編入しました。
 大矢知の名前の由来は、朝明川流域の大きな谷や湿地という意味です。各村については、下さざらいの「さざらい」は古代語で、朝明川から水を引き込むための水門を表します。下之宮は耳常神社(みみつねじんじゃ)のことで、その昔、広永村にあった上之宮に対応した名称です。川北は朝明川の北側だったからです。江戸時代に川筋が南側に変わっても呼び名はそのままとなりました。垂坂は水が垂たり落ちる坂、蒔田は種を蒔いた田、松寺は松栄山蓮證寺(れんしょうじ)を「松のお寺」と呼んだことにちなんでいます。
 久留倍官衙遺跡は四日市で初めて国の指定を受けた史跡で、現在遺跡公園として整備されています。

写真:久留倍官衙遺跡公園内のくるべ古代歴史館