第5回 八郷

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八郷橋から望む鈴鹿山脈
八郷橋から望む鈴鹿山脈

 八郷地区は四日市市中心市街地から北へ約6〜7kmに位置します。朝明川の中流域に点在する自然村として、また、近江や京に通じる八風街道を支える交通集落として歴史を刻んできました。
 八郷の名前は明治22年、平津、広永、山村、伊坂、千代田、中村、萱生の7村と広永新田の一部(現在の山分町)の、合計8つの村が合併したことから付けられました。平津の平は平坦な土地、津は人や物が集まる場所という意味があります。広永は旧称は弘永で開墾地、山村は山の中にある村、伊坂の伊は接頭語で坂のことを言います。千代田は旧称が鶴沢で、縁起の良い言葉繋がりで「鶴は千年」から千代になったとされます。中村は旧称が萱生中村で、萱生は萱が生えている土地、山分は広永村と大矢知村の新田が元の村から分離・合体した土地という意味があります。
 昭和43年に平津新町の宅地造成が行われた際に化石が発見されたことから、100万年前までこの地域に「アケボノゾウ」と呼ばれる野生の象が生息していたことが分かっています。そらんぽ四日市ではアケボノゾウの全身骨格(レプリカ)を見ることができます。


写真2:アケボノゾウの全身骨格(レプリカ)