第11回 中部

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 中部地区はその昔、葦が生い茂った湿地でした。その後陸ができ人々が集まると、東西と南北に通じる道が交わる場所に「四日の市」が立ち、江戸時代には東海道五十三次の宿場町や行政の中心地として発展しました。
 町名の由来は、稲葉町は港の修築を行った稲葉三右衛門(稲場町)に由来し、高砂町は三右衛門の妻たかにちなむといわれています。尾上町は能「高砂」に登場する地名。旧東四ツ谷町は昭和43年に相生橋に因んで相生町となりました。いずれも能「高砂」に謡われる「尾上の松の相生に…」にちなんだ夫婦和合、長寿を祝うめでたい名前です。曙は夜明けや明け方の意味から東の新興住宅地のこと。朝日も同様です。鵜の森はその昔、海鵜が営巣していた森。沖の島は沖にあった島。北条は浜町の北側の一角が分離して出来たとされ、納屋、蔵は四日市湊で扱う物品の倉庫が立ち並んでいた場所。浜田は海浜沿いの田畑のことです。北は北市場があった所、九の城は浜田城の旧地を意味する旧の城が転じたとされます。幸、三栄は響きと意味の美しさから。昌栄は繁昌と繁栄を願って。新正は新たに開墾された場所の意味があります。諏訪は四日市の産土神、諏訪神社から。十七軒は家の数から。末広、千歳は埋立地で繁栄を願っためでたい名前。中は、かつての札の辻から湊に通じた浜往還の中央にあった所。西浦は西の入り江。西新地は西の新開地。西は札の辻から西の菰野へ通じる道沿いの町。八幡は八幡神社にちなみます。浜は海や海岸で、かつては四日市湊がありました。堀木は赤堀氏の重臣だった堀木氏の姓から。南起は四日市の南の開墾地。安島は安寧・安心の範囲、区画の意味を持ちます。