四日市市楠町南五味塚地区の伝統行事「南楠鯨船まつり」が10月11日から2日間にわたって行われた。幕末頃から年中行事として続くこの祭礼は、初日に南御見束神社の神様が社殿から出て鯨船に移る「出船」に始まり、2日目夜の「入船」で再び社殿に戻る。12日夜、同神社の境内は、巡行の締めくくりにふさわしい熱気に包まれた。
(https://www.youtube.com/watch?v=kYjV5X-eJZ8)
熱気あふれる2日間
南楠鯨船保存会のメンバーたちが、鯨船に見立てて曳く山車「龍神丸」は、真紅の胴に金箔細工がきらびやか。太鼓の音と「鯨船の唄」が響くなか、大小8杯の張り子の鯨を追って練り歩く。踊り子の力強い踊りと担ぎ手の勇壮な姿、大暴れする鯨の演技が見どころだ。
世代を越えて受け継ぐ絆
今年は、総勢253人が練りに参加。そのうち中学生以下は63人で、最年少が5歳、最高齢は84歳。世代を越えた地域の絆がある。
初日はあいにくの雨天で、船の屋形や舳先をビニールで覆い、楠漁港や宝酒造楠工場など17か所を巡行。2日目は曇天ながらも金装飾を輝かせ、宮﨑本店を出発して東海水産や楠町商工会など20か所を練り歩いた。自治会長宅や慶事のあった家などにも練り込み、豊漁や家内安全を祈願した。

クライマックスの「入船」
2日目午後7時過ぎ、神社の手前で龍神丸はすべての飾りを外し、裸船の姿で鳥居をくぐった。子鯨・親鯨ともに総仕上げとばかりに激しく暴れ、太鼓の音が高鳴る中、昨年に続いて今年も踊り子を務めた服部新汰さん(楠小6年)が拝殿内に突っ込んだ鯨めがけて銛を放つと、境内は歓声と拍手に包まれた。

最後に船を7回半回し、船首を伊勢神宮へと向ける。「謝運謝運とうっておくれ――」と唄いながら全員で万歳三唱。豊漁の年に地域を代表して伊勢神宮に参拝する者を祝い合唱したという、かつての網元の風習の名残だそうだ。
倉庫に収められた龍神丸の「御霊抜き」の儀式が執り行われる中、境内では軽妙なリズムで太鼓が打ち鳴らされ、「豊年踊りの唄」に合わせ、人々が三々五々、踊り出す。熱気の余韻を残しながら、2日間のまつりは幕を閉じた。
亡き仲間へ 船を止めて黙とう
今年の練りでは、地域の人々の胸を打つ場面もあった。
長年この祭りを支えてきた芥川乃祐さん(享年40)の自宅前で、船が一時停船。保存会の音頭で全員による黙とうがささげられた。門前には、遺影を抱いた妻の智恵美さんが立ち、「(乃祐さんは)今頃船に乗っていると思います」と涙ぐみながら感謝を述べた。父の肇さんも「保存会を上げてこのように黙とうしてもらえて幸せ」と言葉を詰まらせた。

乃祐さんは幼いころから鯨船まつりを愛し、幼児期には櫓漕ぎ、小学校高学年では踊り子を務めた。成人後も船体の担ぎ手や鯨役など順繰りに担い、近年は足持ちとして踊り子を支えてきた。
36歳で悪性腫瘍が見つかった後も参加を続け、昨年は酸素ボンベを装着した車いす姿でまつりに臨み、同年12月25日に息を引き取った。

乃祐さんの息子・湧飛さん(楠中2年)も、6年生だった2年前のまつりで踊り子を務めた。入船の後、拝殿内で撮影した写真が今も家族の宝物になっている。地域を挙げてのまつりの中、親から子へ受け継がれる鯨船の魂が息づいている。