冬の工房。溶断の火が鋭く走り、赤く染まった鉄の縁がかすかに揺れる。火と向き合う作業のなかで、馬の輪郭が少しずつ整ってゆく――。
火と鉄から生まれる命
2026年は、60年に一度巡ってくる丙午(ひのえうま)の年。十干十二支が一巡して重なる特別な年で、火を意味する「丙」と、勢いと生命力の象徴である「午」が重なる年とされる。そんな年を前に、長年、「火」と「馬」を扱い続けてきた彫刻家の仕事に注目した。

なぜか惹かれた馬の姿
三重県四日市市在住の彫刻家・銅谷祐子さんは、30年以上にわたり馬をモチーフに作品を制作してきた。馬に惹かれたきっかけは「自分ではよく覚えていない」という。
母の話によれば、幼い頃、「何が欲しい?」と尋ねられると、「生きた馬が欲しい」と答えていたそうだ。テレビで見たエリザベス・テーラー主演の映画『緑園の天使』(1944年/アメリカ)で、少女が暴れ馬と心を通わせる姿が、今でも強く印象に残っているという。一方で、馬のぬいぐるみを欲しがったことは一度もなかった。今思えば、「強くて美しい生き物と、心を通い合わせたかった」と銅谷さんは振り返る。
小学4年生の頃には、愛知県の中京競馬場で行われていた子ども向けの活動に毎週日曜日に1年間、始発電車で通った。小さな体で見上げた馬の大きさと息遣い。そこには自由と命のきらめきが感じられた。

学校の授業「美術」は好きじゃなかった
学校の図工や美術の授業は、好きではなかったという。「自分の心が動かない花や花瓶を描けと言われても、描く気になれなかった」。写生大会でも、何を描けばいいのかわからず、手が止まることが多かった。
美大を志したのは高校3年生の時。多摩美術大学立体デザイン学科工芸・金工コース(当時)を選んだのも、「自分にできそうなことを消去法で考えた結果」だった。金属の中で鉄を選んだ理由は、太古の昔から人間のパートナーであり、シンプルに加工できる素材だったからだ。
実は卒業制作は2度経験している。1回目は鷺(サギ)のレリーフ。夢中で制作できたことで、「この道で生きていきたい」と思えた。就職せず大学に残り、2度目の卒業制作で、初めて馬をつくった。
その背中を押したのが、恩師がローマ遊学から持ち帰った1冊の画集だった。現代イタリア具象彫刻界を代表する作家、ヴェナンツィオ・クロチェッティの馬の像。「彫刻は、こんなに自由でいいんだ」。写実に引きずられず、感動を形にする。その姿勢に衝撃を受け、自分の進む方向が定まった。

馬と共に過ごした日々が作品の根底に
卒業後、深く馬を知ろうと、湯の山乗馬クラブに通い始めた銅谷さんは、やがて先代オーナーから「クラブ内に工房をつくるから来ないか」と声をかけられる。1993年から2005年まで、担当馬を1頭任され、世話をしながら制作する日々が続いた。
しかし、馬と信頼関係を築く一方で、人間の都合によって生きることを許されなくなる現実も目の当たりにした。役に立たなくなれば「廃馬」とされる命。それは馬に限らず、害虫、害獣と呼ばれる存在にも通じる。30年前、社会全体が人間以外の命に鈍感だった時代背景の中で、人間の傲慢さを強く意識するようになった。

叩き、壊し、またつくる
制作は、平らな鉄板を切り出すところから始まる。切り込みを入れ、ずらし、曲げ、突き出す。赤く熱した鉄を金槌で叩き、何度もやり直す。夏は暑く、冬は凍える。体力と集中力の勝負だ。「気に入らないところは壊して、またやり直す。ひたすらイメージを追い求める時間は、苦しくても最も充実している」。躍動感や疾走感を生むため、あえて隙間を開けることもある。風の流れや時間そのものを、鉄で表したいからだ。

感動は、人を動かす
銅谷さんが一番大切にしているのは「感動」だという。それは、人の行動を導く最も純粋な動機だ。
人間は、自分や自国の利益を優先してしまう存在でもある。それを本能として認めたうえで、銅谷さんは「芸術は国境を越える」と語る。感動には、人間の本能さえも凌駕する力があると信じているからこそ、将来の地球や社会を、極端に悲観してはいない。
人間の傲慢さに失望した時期を経て、今、行き着いたのは生命賛歌だ。「命って素晴らしい。そして、大切なものに気づこうとする人間も、やっぱり素晴らしい」。

作品「フィールド― 朝が来た!―」(菰野町・佐々木動物病院)や「What?!」(津市・高田学苑馬術部)は、モニュメントとして日常の風景の中で、人と向き合っている。
現代工芸大賞を受賞した「Wild horse -Shine-」(写真・記事冒頭)は、「鉄という素材の強靭さと豊かな表情を巧みに引き出し、『時空を超えて駆け上がるような生命のきらめき』を体現している」との評価を受けた。
重く硬い素材が、火を受け、叩かれ、つなぎ合わされ、しなやかな命のかたちとして立ち上がる。火と馬が重なる丙午の年を前に、内なる感動を宿した鉄の馬は、天空へも駆けあがってゆく。









