三重県四日市市で30年にわたり、地域の人々の「もしも」に寄り添い続けている保険代理店がある。市川保険事務所(四日市市生桑町)だ。創業者は当時主婦だった市川千鶴さん、そして現在の社長である夫の市川正三さん、さらに息子へと、そのバトンは家族の中で受け継がれている。
すべては、千鶴さんの小さな決意から始まった。家族で積み重ねてきた30年の中で、正三さん自身もがんと向き合い、保険という仕事の意味を改めて見つめることになる。
主婦の熱意から始まった代理店
1995年3月、新聞の「代理店募集」を目にした千鶴さん。「地域で誰かの役に立ちたい!」。当時はパート勤務の主婦だったが一念発起し、同事務所は産声を上げた。
当初、酸素や高圧ガスのルートセールスをしていた夫の正三さんは、千鶴さんの起業に際してあくまでサポート役だった。しかし、顧客が増えるにつれ、千鶴さん一人では手が回らなくなる。2000年、正三さんは会社員を辞め、保険の道へ入る決断をした。 「物を売る営業と、目に見えない安心を売る営業。同じ営業でも全く別物でした」。固定給のない厳しい世界へ、夫婦二人三脚で飛び込んだ瞬間だった。
自身が「がん」になったからこそ、伝えられること
正三さんには、どうしても伝えたい実体験がある。8年前、55歳の時に判明した「すい臓がん」だ。 糖尿病の疑いで検査をした際、運良くステージ1で見つかった。手術と約2か月の入院生活。「まさか自分が」という当事者になったことで、保険が単なる金銭的な補償だけでなく、「一人ではない」という心の支えになることを痛感したという。
四日市高校時代の友人ががんに罹患した際も、給付金の手続きを通じて力になれた。「本当に嬉しかった」と振り返るその言葉に、嘘はない。
親子だからこそできる「顔の見える」対応
事務所は2007年からはアフラックが定める条件を満たした代理店となり、その後、息子の敬大さんも加わった。 「正直、もう少し外で揉まれてからでもよかったのでは」と正三さんは笑うが、敬大さんは持ち前の責任感で、自動車保険や事故対応を中心に現場を支えている。 コールセンターの機械的な対応ではなく、対面でじっくり話を聞く。親子で意見がぶつかることがあっても、「お客様の安心」を最優先にする姿勢は共通している。
治療の変化に合わせた「今の備え」を
「がんは手術して終わりではありません」。 経験者だからこそ、その言葉は重い。現在は通院による抗がん剤治療やホルモン療法など、入院せず働きながら治療を続けるケースも増えている。 「昔の『入院中心』の保険のままでは、最新の治療費をカバーしきれないことがあるんです」。

取材中も電話が鳴り、スタッフが「お大事に」と優しく受話器を置く姿があった。 30年、この地で続いてきたのは、派手な宣伝文句ではなく、こうした地道な信頼の積み重ねがあるからだろう。
「大手にはない、家の隣にあるような安心できる店でありたい」 。自身もがんを乗り越え、地域の「命」を見守ってきた市川さんの言葉は、四日市に住む私たちの背中をそっと支えてくれるようだった。










