熊本県を中心に大きな被害が出た7月28日夕方の地震を受け、三重県四日市市中部の石川畳店店主、石川淳二さん(52)は8月14、15の両日、熊本県八代市などの被災地を訪れた。畳の原料となるい草の産地として定期的に通ってきた八代の状況を確かめ、被害を受けた農家の片付けなどを手伝った。
発災直後から現地の知人らと電話で連絡を取り、8月初旬には紙おむつなどの支援物資を熊本行きのトラックに託した。それでも「じっとしていられず」、お盆休みを利用して自ら現地へ向かった。
「洗濯物が干されていない」――肌で感じた非日常
14日早朝に四日市を出発した石川さんは、中部国際空港から阿蘇くまもと空港へ飛び、レンタカーで午前11時には八代市内に入った。
長年付き合いのあるい草の産地問屋の人と合流し、親しくしているい草農家へ駆けつけた。農家の男性は「2016年の熊本地震のときと違う揺れ方で、今回は『ドンッ』という衝撃で立っていられなかった」と振り返る。田んぼから駆け戻り、崩れたわが家を目にしたときのショックは計り知れなかったという。
石川さんは問屋とともに農家を回り、傾いた家屋や壊れた農業用水路などの様子を確認して回った。

初日に最も強く違和感を覚えたのは、「晴天なのに、洗濯物が干されていない」景色だった。高い場所から俯瞰すると、ブルーシートで覆われた屋根や壊れた建物が目立つ一方、一見無事に見える家々も並んでいる。しかし、生活感が不自然に消えていることに気づいた。水が使えないことで、当たり前の日常が奪われている――石川さんが肌で実感した瞬間だった。

「水問題」に直面しても歩みを止めない農家
い草は例年7月に刈り取りを終え、8月には次の苗を育てる準備に入る。栽培の新たなスタートを切る大切な時期だが、球磨川からの農業用水路が損壊し、通水機能を失っていた。
地下水をくみ上げて利用している農家もあれば、枝分かれした水路に溜まる浅い水をポンプで吸い上げてなんとか田んぼに入れているところもあった。生活排水などが混ざった水なので、い草の生育に良くないが、「田を枯らすわけにはいかない」と作業を続けていた。
「農家は特に、今歩みを止めたらすべてが止まる。手を止めるわけにはいかない。水が来ないかもしれないという不安の中でもやることはやっていかなくてはいけない」。石川さんは夕方まで農家の生の声を聞いて回った。

災害ゴミ運搬を手伝う
翌15日は朝6時半、全世帯に備え付けられている防災ラジオのアナウンスで目が覚めた。午前中は前日に訪ねた農家で、崩れた土壁や壊れたコンクリートブロックを車に積み込み、臨時の災害ゴミ集積場となっている小学校の校庭へ運ぶ片付けを手伝った。

地震から2週間余りが経っていたが、ゴミを捨てるためには受付から1時間以上並ぶ必要があった。集積場には、被災した畳も運び込まれていた。

避難所で活躍する畳と高齢被災者の姿
午後には、避難所となっている八代市立第四中学校を訪問した。石川畳店は、全国の有志畳店が連携して被災地に畳を届ける「5日で5000枚の約束プロジェクト」に参加している。同避難所に畳が搬入されたと知り、現場での活用状況を確かめたいと考えていた。
体育館では、届けられた畳を使って、テレビを見るための8畳の共有スペースが設けられていた。段ボールベッドの上に畳を敷き、少しでも寝心地を良くする工夫もされていた。


避難所で出会った90代の夫婦は、地震の揺れで自宅の玄関ドアが飛んだために外へ逃げ出せたという。2人は、「みんなが優しくしてくれてありがたい」「エアコンも効いてありがたい」と何度も感謝を口にした。過酷な状況を受け入れ、周囲に感謝する姿に石川さんは深く感じ入った。
い草問屋の人も避難所に同行していたが、自身も被災しつつ親戚宅に身を寄せることができた彼は、避難所訪問が初めてだったという。炊き出しを受けていい立場ではあるが、避難所生活を余儀なくされているわけではないので、受け取ったことはないという。石川さんは、同じ被災者間でも、遠慮などあって立場が違うと踏み込めず理解が進みづらいのではないかと感じた。
活断層が通る地域の激しい被害状況
倒壊した瓦屋根の古い家屋や神社仏閣、激しく曲がった線路を目にしながら、震源地に近い宇城市小川町地区にも向かった。



熊本県中部から八代市を経て八代海へ延びる日奈久断層帯沿いのこの地域では、家屋の倒壊や路面の亀裂などの被害が目立っていた。地面には1メートル近い段差ができている場所もあり、数キロにわたって亀裂が走っていた。
「地面が大きな力でひねられて壊されたように感じた。無事そうな建物の下の地面にも、亀裂があった」。

「日本はいい国や」
八代市社会福祉協議会が運営する災害ボランティアセンターにも足を運んだ。
ボランティアの募集や振り分け、取りまとめを担う運営側も被災しており、専門的な経験があるわけではない中で対応に追われていたという。平時は顔見知りばかりの地域でも、被災後は見知らぬ人を見かけることが増え、不安もあると聞いた。
それでも、センター周辺に全国から集まった救援物資を運ぶトラックが並ぶのを見て、石川さんは「日本はいい国や」と思った。

「水があればなんとかなる」水の大切さを実感
地下水を利用した役場隣接の風呂は、地震から10日目に利用できるようになった。石川さんが訪れた際には十分な水量が確保されていたが、周囲の人たちが「昨日は調子が悪かったんだよ」と教えてくれた。「お風呂に入るのが楽しい」。笑顔で話す人たちの姿を見て、石川さんは「お風呂は大事だな、水は大事だな」と実感したという。
八代平野や八代海を望む龍峯山の登山口には、「無料生活用水」として水を入れたバケツが置かれていた。ほかにも、地域の人たちが「ここに行けば水が使える」と教え合う場所があった。
「水があればなんとかなる。本当にありがたい」。
水が使えない生活の大変さや、水を確保するための工夫を目にしてきた石川さん自身も、いつしか水への感謝の気持ちが大きくなっていたという。

被災地のリアルを伝えたい
「圧倒的な自然の力を前に何度も涙があふれました。けれど同時に、前を向いて生きようとする人間の力強さにも心を揺さぶられました」。四日市に帰った石川さんは今回の熊本行きをそう振り返る。
被災者の気持ちを「途方に暮れた日もあったと思う」と推し量る石川さん。「粛々と家の片づけをしている人をいっぱい見た。それこそ途方もないような作業を淡々と。でも彼らの語る言葉は未来を向いているんです」。それは、「明日になれば」「月が変わる頃には」「ちょっと落ち着いてきたら」「寒くなるまでには」といった先を見据えた言葉だった。
石川さんは、「東海圏にいては伝わりづらい被災地のリアルな現状を、地元四日市や周りの人たちに知ってもらいたい」と話す。
畳にかかわる者として
20年前に約5000軒あった八代市周辺のい草農家は、現在約200軒にまで減っている。生産者と共に上質ない草を追い求めてきた石川さんにとって、今回目にした被害は、仕事を通じてつながってきた人たちの暮らしだけでなく、産地そのものの問題でもあった。
「畳と熊本の産地は共同体」。石川さんは、今後も自分にできる形で被災地と関わり、い草産地の復興を支えていきたいと話している。

※掲載写真はすべて石川さん提供














