三重県四日市市の桜地区市民センター(同市桜町)で、8月30日、お化け屋敷「キツネのたたり」が開かれた。ひとりの女性がテーマや仕掛けを一から考え、知恵を絞って作り上げた本気のお化け屋敷。会場では、子どもから大人まで、悲鳴と笑い声を上げながらお化け屋敷を楽しむ姿が見られた。
泣き出す子も、何度も挑戦する子も
桜地区こども会育成者連絡協議会と桜地区社会づくり協議会が主催し、昨年に続いて2回目の開催。受付には、「キツネのたたり」から助かるための3つの方法が示されていた。
その1、キツネのふりをする。耳かしっぽをつける。
その2、お地蔵さまに赤いぼうしをかける。
その3、壊れた祠(ほこら)の前に、いけにえを捧げる。
必要なアイテムは入口で貸し出され、来場者はそれらを手に暗がりへと進んだ。
内部では、人形だけでなく人間のお化けも待ち受け、予想していなかった仕掛けに驚いて声を上げる子どもたちの姿が見られた。怖さのあまり途中でリタイアする子もいたが、再挑戦して最後まで進んだ子も。中には6回、7回と繰り返し入場する「猛者」もいた。
小学2年の女の子からは、「泣いた」「途中までしか行けなかった」という声も。小学5年の女の子グループからは、「去年より怖かった」「想像以上の怖さだった」「有料のお化け屋敷より怖かった」といった感想が口々に飛び出した。

お化け屋敷を作り続けて16年 松尾みどりさん
このお化け屋敷を中心になって作ったのは、四日市市在住の松尾みどりさん(43)だ。
松尾さんがお化け屋敷を作り始めたきっかけは、2009年にさかのぼる。ある有料のお化け屋敷に入ったところ、「つまらなくて、腹が立った」という。「自分ならもっとちゃんと作れる」と思ったことから、翌2010年、実家の稲葉神社(津市稲葉町)でお化け屋敷を開催した。
初回は「THE お化け屋敷」といえる王道の内容だった。翌年からはテーマを決め、「目玉ばばあの館」「呪われし神社」など趣向を変えながらお化け屋敷を作り続けた。
結婚を機に四日市市へ移り、子育てやコロナ禍による中断を挟みながら、桑名市やいなべ市の古民家カフェを舞台に、さまざまなお化け屋敷を手掛け、今回で10作目となった。
現在は長男(小6)、次男(小3)もお化け役として参加している。母のお化け屋敷作りを、子どもたちも自然に受け止めているという。

「三途の川」と「橋」で生と死の境界を演出
松尾さんは毎回、まずテーマを決め、そこからどんな構成にするか、どんな世界観にするかを膨らませていくという。
今回こだわったのは「三途の川」と「橋」だった。橋を渡ることを「あの世へ通ずる一歩」と捉え、生と死の境界線に踏み込んでいくイメージを形にした。また、小学校の国語で「かさこじぞう」を習うことから、並んだお地蔵さまに「赤い帽子をかける」というミッションを組み込んだ。

実家が神社という環境も、松尾さんのお化け屋敷の世界観に影響している。鳥居や灯籠といった和の景色に親しんで育ったことが、自身の「原風景」として生かされているという。
以前はイベント制作会社に勤め、講演会などの会場設営や背景パネルの制作などに携わった。その経験やノウハウも、お化け屋敷作りに役立っている。
目指すのは「日本一怖いお化け屋敷」
制作や設営、当日の運営に協力するスタッフの経験値も上がっている。初回から手伝っている人もおり、足掛け16年の付き合いになる。スタッフが経験を積んだことで設営も素早くなり、現在では「昨日作って今日が本番」というスケジュールも可能になった。
今回も前日にメインスタッフ3~4人を中心に計8人で約10時間かけて設営。当日は10人のお化け役と数人のスタッフで運営し、終了後の撤収は約2時間で行った。

松尾さん自身も制作者としてだけでなく、お化け役として参加している。今年は「キツネの怨霊」に扮した。「自分がお化け役をしたくて、お化け屋敷を作っているところもある」といたずらっぽく笑う。松尾さんの自作の名刺には、「お化け屋敷の事でしたらお役に立てるかも・・・」と、おどろおどろしい字体で、「お化け屋敷を作るのが趣味です☆」とポップに印字されている。
目指しているのは、「日本一怖いお化け屋敷」。松尾さんが求めているのは、その場で驚かせて終わる恐怖ではない。「感触が残ったり、記憶にガシッと噛みつくような、怖いと思った感覚が残る体験」。おいしいものを食べたとき、その味や食べた感覚を後から思い出せるように、怖かったという感覚も記憶に残るーー。そんなお化け屋敷を理想としている。
夏休み最後の日曜日、松尾さんは「子どもも大人も腹の底から大きな声を出して楽しんでくれていて、うれしかった」と振り返った。















