三重県四日市市の「富田音頭」は、昭和の人気の盆踊りだった。時代が代わり、コロナ禍もあって、盆踊りのやぐらは各所で消え、今は踊る場所もごく限られている。そんな風景を寂しいと感じ、地元の富田地区で西川流日本舞踊を教える母娘が復活へのきっかけをつくろうとしている。7月19日にあさけプラザで開く発表会で、まずは多くの人に知ってほしいと、子どもたちも一緒に約130人でにぎやかに踊りを披露する。
地元の有志が記憶たどり、あらたに作詞作曲
「白砂青松」の言葉のように、富田地区は美しい砂浜が自慢の土地で、名古屋財界の人々も海水浴に訪れるような場所だった。冨田音頭は、昭和の初めごろには音源もあったようだが、戦後は、伊勢湾台風の被害も関係してか、いつか、ほとんど聞かれなくなっていったという。
地元の有志が富田地区の人たちの記憶を探し歩き、昭和47(1972)年、あらたな富田音頭が作詞作曲され、東芝からレコードも発表された。富田地区の生活や名所を織り込んだ歌詞と軽快な曲。当時のレコードジャケットには、九鬼喜久男市長、四日市商工会議所の九鬼紋十郎会頭が「推薦の辞」を寄せた。

振り付けは母、各所で盆踊りにぎわう
レコードジャケットの内側に、富田音頭の踊り方が写真入りで掲載されていた。振り付けを考え、踊り方を見せたのが、西川流日本舞踊の里寿会を昭和44(1969)年に立ち上げたばかりの西川里寿さん(87)だった。
里寿さんは当時30代。レコードの発表後、各所の婦人会などで踊り方を指導し、富田地区だけでも幾つもの盆踊り会場で踊られた。大四日市まつりでも約3000人の規模で市内中心部を踊ったといい、富田音頭は地区を超えた存在になっていた。

かつてを知る娘の千穂寿さんの想い
里寿会は、今は娘の西川千穂寿さん(61)が指導を引き継いでいる。千穂寿さんは子どものころ、母が振り付けをした盆踊りのにぎわいを見て育った。今は年1回、コロナ禍以降はやぐらもなくなった富田中公園の納涼祭で幼稚園児らが踊るくらいになって、見る機会も減っている。
「盆踊りの音頭のリズムが生む、参加する人々を一体感で包んでくれるような、ほっとする雰囲気が好き」と千穂寿さんは話す。富田音頭をこのままにしてしまうのは寂しいと、里寿さんと発表会での「復活」を相談してきた。

発表会のプログラムに「もう一度 富田音頭」
いつか、幾つもの盆踊り会場で踊ってほしい。富田地区に新しく住む人との交流のきっかけにもなればいい。その最初の一歩にと、あさけプラザで開く夏の発表会「里寿会 ゆかたざらい」のプログラムの最後に、富田音頭を入れた。タイトルも「もう一度 富田音頭」と書き入れた。
舞台での踊りには、発表会の出演者のほか、富田文化幼稚園、マリア・モンテッソーリ幼稚園、津田学園小学校、地元の富田活性化プロジェクトの大人や子どもが参加する。浴衣姿で踊り、年配の人には当時の風景が再現されたように映るはずだ。
「里寿会 ゆかたざらい」は午後2時開演。富田音頭の披露は午後3時半から4時ごろになる見通しという。入場無料だが、整理券が必要といい、当日券も若干の用意があるという。









